一般常識というのは、
最低限度持ち合わせておくものだ。



最低限度持ち合わせれば人生恐くなくなる。
それが持てないのはモラルを受け入れないということだ。




モラルを持って最低限度行動することで自由が得られるのであれば、
持ちたくなはないだろうか?
失敗しても凹んでも、
また立ち上がって成功するといい。


でもね、
ただ成功しただけであれば、
失敗の恐怖も知らないし、絶対に人生は何かしら失敗するから、
立ち上がるのに苦労する。





失敗も立ち上がる強ささえあればまた立ち上がれる。
そうやって、
成功者は前に進んでいるんだ。
目上の人に対する時、
礼儀というものは必要だ。



その中でも、
同じくらいの人に対する礼儀は忘れがちだ。




必ずと言っていいくらいに、
人は話したこともない人には敬語を使う。
仲良くなってきたところで、その意味を理解するのだ。
便利なものは使いたい。

その便利なものを使うと時間が短縮できるとか、かなりいいと思うだろう。



それはでも、
成長には関係がない。
成長したいのならば絶対的に不便な方がいい。

なんでもできる必要などないが、
なんでもできるようになることは一番仕事などで強くなれる方法になるだろう。
回復力は必要だ。




どんなハードな仕事も回復力があればすぐに翌日にまた行動できる。



だが、
もしそういうことがなかったら。
もちろん、
回復できずにクオリティは落ちるだろう。
人間の体は細胞の集まりで出来ている。


その細胞のようにして会社もできている。
人の世界はなにかしらのことに一部になることが一番効率が良い。



細胞とは、
増えるだけ強くなれるのだから。
これだけでいい。




生きるのにこれだけでいいと思うようなことがあるだろうか?


例えば無人島に流れ着いたらというと、
人それぞれで必需品がちがうというけど、
必需品にさえもある程度の許容条件がある。




簡単に言うと、
何もない世界に持っていけるものは、命と体しかないものだ。
情報を守るということは大切だ。

例えば家族がいる時子供がピンチな時、
どうにもできないような自体があっては困るために親は全力で子供を守る。


その前準備として誰にも話さないことを設けている場合もある。
人間、
どんな情報もあまり他人に話すべきではない。
それが重要な情報だ。
人にはそれぞれ。


落ち着く場所がある。
それは
家かもしれないし、
または仕事場かもしれない。




人それぞれが違う場所で生きるその世界で、
自分の居場所を見つけるのは、スゴく楽しそうだろう?
まともに認められないことは悲しいものだ。


認められることに何かを感じるよりも、
認められることそのものが嬉しいと思うものだ。



私はだから思うのだ。
認めないことで相手に与えられる優しさがあるのではないだろうかと。
驚くことに体力を使うのか?



人というのは、
どんな動作にも筋肉が反応するため、どうしても体力を動作によって消耗してしまいます。



まあそれくらいに、
人というのはどんなことにあっても疲れる生物だということでしょう。
ケンカは止める必要がない。

仲裁すればいいのだ。
悪いことに対して何を言うのかは自由だし、ダメなことをダメで終わらせるよりも、
相手とぶつかって解決してみたらいいのだ。




その中で、
何かが生まれればそれでいいじゃないか。
仲が悪い相手は誰にでもいる。



だがその仲が悪い相手に対して、仲直りをするのかは本人たち次第だ。


別に仲直りしなくていいのならば仲直りしなくていいのだ。
人間はそんなによくできていないから、
頑張らなくても別にいいのだ。