人生に特別なんてない。


すべてが必然で、
誰かの何かが原因となってその自体が起こっているはずだ。




なにかが違えば、
その環境にいる何かが特別強い影響があったのだろう。
仕事というのはやりきることが大事だ。





やりきれない仕事をしていると、

そのうち問題が起こった時どうしたらいいのだとなげくことがある。







ビジネスとは、

全力をつくすことだ。

その全力が、必要なときに役立つのだ。
頑張ることに意味はあると思うか?


たとえそれができなくても、
立ち上がる力になることくらいはあるのではないだろうか?




ピンチの時に声援や応援があれば、
少しくらいは力が湧くのではないだろうか?



本当に相手と戦うとき、
覚悟ができるのは、その人達の声があるからだ。
「一族の誇りを持て」
とか、
「家族の代表なんだから」
とか、


正直私の場合どうでもいいことなのだ。
私は長男だが、
その一家の代表として立派に生きたいとか、
そういう情熱はまったくない。




これからの家族をどうやって養うのか、
くらいにしか考えていない。
それくらいに、私は無難なのかもしれない。
だが、
このご時世、こういう家庭もいいではないか。
使えるものは何でも使う。
だが、
使えないのならば迷わず捨てる。

それくらいに人というのはシンプルになれる。

シンプルになれないのならば、
それはまだ二流なのだ。
言ってみれば
「この世の中リスクだらけ」
だ。
たった一歩のミスで問題があっただけで仕事を追われるなんて当たり前だ。
そういうリスクを考えられるために中学高校で
「法律」

「常識」
を習ったのではないだろうか?

生きていればリスクだらけだ。
そのリスクは人を危機に陥れる時もあるし、人を救う時もある。
どんな行動も、感覚が重要だ。



どんな几帳面でも同じことは同じことに起こらず、
常に新しいことが現在では起こっている。






いつも同じなんてことはない。
新しい行動が、新しい世界を生むのだ。
いつまでも永遠に同じことをしていられるだろうか?



人間とは、
欲望よりも圧倒的なほどに、成長意欲というものが存在する。

いつまでも同じことをしていられず、
耐え続けることも本当に人格ができていないと石の上にも三年などいられないものだ。





頑張るということさえも、
人には無意味なのだ。
人というのは絶対に頑張っても新しい仕事のほうがやる気が出る。
新しい仕事をして新しいことをして、
それだから力が湧くのに、
成長するためには、その石の上にも三年いられるほどの同じことの繰り返しで成長するのだから、
動かさせるのと成長させるのは違うのだ。
その人に何かしたいと思う感情は、
誰よりも素晴らしいものだ。

それをかなえられる力があればなお素晴らしいものだ。
人とは絶対的にそれを叶えたいと思い、
失敗するかどうかを永遠と試し続ける。


その感情は素晴らしいが、
それが他人の迷惑になってないかまでは考えておくべきだろう。
人間には必ず未来がある。




それはどんなものも同じだが、
人間の未来は自分で作らなければ変わらないし、停滞すれば他の人に抜かれることも多い。
人生とは向上するものだ。
そして、
成長し続けられる人間は、強い。
最大パワーで戦って勝てないってことが、もしあるとして、どうやったら勝てるのだろうか?



それは全力以上の力がないと勝てないのだから、
それを出しきれるのかが勝負になるだろう。





全力以上。
限界を突破すれば体に想像以上の負担がかかる。
それだけ無理をできなければ倒せない相手だからこそ、どうするか自分で考えるといいだろう。
努力には価値がある。

それはつまり、
努力することで得るものはかならずあるということだ。
それにより得をすることで、
新しいことが出来るようになればなお嬉しい。


そのことだけが人を笑顔にさせるのだから、
人は成長することが素晴らしいことだと思うのだ。
どんな物語にも完結はあるものだ。



だからこそ、
人間の人生にも完結がある。




永遠につづく人生はないのだから、その完結するストーリーを、人は盛り上げなければいけないのだ。