その人に何かしたいと思う感情は、
誰よりも素晴らしいものだ。

それをかなえられる力があればなお素晴らしいものだ。
人とは絶対的にそれを叶えたいと思い、
失敗するかどうかを永遠と試し続ける。


その感情は素晴らしいが、
それが他人の迷惑になってないかまでは考えておくべきだろう。
時には
本を買ってみる。

そこには知識が詰まっていて、
そこには一時的な楽しいものが用意されているとしたら、
ワクワクしてこないだろうか?




好きなことはいくらでもある。
だが、
そんな余談程度のこともまた、一興で楽しいものだ。
永遠の愛などない。


どれだけ愛していても、かならず一度は限界が来る。

人の愛情とは、
一回終わっても復活するから継続できていくのである。



人は人がいることがストレスになる生物だ。
どれだけ一緒にいても、
ストレスになるのだから、愛は終わっても繋いでいくものだ。
回復力は必要だ。




どんなハードな仕事も回復力があればすぐに翌日にまた行動できる。



だが、
もしそういうことがなかったら。
もちろん、
回復できずにクオリティは落ちるだろう。
どんなことにも成果を求めよう。


どんなことにも成果を求め、
失敗はフィードバックしよう。



勝てることが勝利ならば、
そのために努力しよう。
どんな努力も、その成果の積み上げにより達成されるのだ。
圧倒的に強くても、
圧倒的に勝てることはない。


圧倒的というのは、それくらいに不完全なものだ。




すぐにその力には対策が打たれるし、その力を使わせない方法を仕込まれるだろう。

それくらいに、
強くなっても休まることはないものだ。
その事柄に対して戦うことは大切なことだ。


大切なことは逃げることができないという意味でもある。
戦い続けることに意味がないのと同じように、
戦い続けることには絶対的な効果があるのだ。
人は別に最強にならなくてもいいのだ。

ただ、
最高に素晴らしくなるか
最高に強くなるのか
だけは決めておいたほうがいい。

どちらも最高だろうが、
どちらも手に入れるのはひどく困難だからだ。
命というのは儚いものだ。

生きている間はいいが、いなくなったら寂しくなる。
それをブログに綴ることが、
命の証明になるのなら、いくらでも新しい文化にしていこうじゃないか。
カッコつけるな。



そんなに立派な人間じゃないだろう。

そう思えば思うほど、
強さを誇ることがいかに困難か思い知らされる。



だからこそ、
カッコつけるのは本当に強くなってからだ。