人と接するときに、
自分のことをわかってもらおうとするべきではない。



相手がそもそも貴方のことを好きかどうかは相手が決めることなのだ。
思いやる気持ち。

それを持っていることで相手と理解し合えるとされている。
それは本当なのだろうか?

私的には真実だと思うし、
理解できないのに会話も何もないと思う。
相手を理解することで話したら言えない内容ややってはいけない行為がわかるのだから、
逆に言えば悪影響のあることもできないことも理解できるのだ。
男の夢というのは、


ロボットや機械とか、夢のあることをやることが多い。
それは別に悪いことではないが、
女にはわからないから美学なのだ。
どんな行動も仕事も、気合だろ。



どれだけ強くても精神が弱ければ戦えず、そして力がなければ精神も強くないのだ。

心とは人間の中で一番弱く弱点にもなりやすい部分だ。
本来の力を使うには、
どうしても精神力がいるのだ。
まず、
「適当であること」
これがないとマジメにやりすぎて疲れてしまうじゃないか。



次に、
「真面目さは常にいらない」
集中力とかそういうのは無限に続くものではない。
だからこそ、
一時的でいいからその真面目さを貫くときを常に持っておくことが重要。



まあ、
他にもあるのだが、
こういう風に、自分だけしか持っていないような信念っていうのは使えるものだ。
人工知能が完成して。



機械が人間に近づく日が徐々に徐々に迫ってきた。




機械と人間は仲良くなれるだろうか?
この問題とは、機械が人間のことをどう思って過ごすかによって変わってくる。
できれば、
人間同士もなるべく寄り添えるようにして機械に素晴らしさを見せていきたいものだ。
遊んでいる人は自由でしょ?

それはそうよ。
仕事では頑張らないといけないもの。




遊んで暮らせるといいけども、
ハメ外している時点で幸せがまだつかめないって思うもの。
常に遊んでいられるのならば、何がしたいですか?
遊ぶことが仕事だったら、楽しいですか?

答えは、
「遊ぶことが仕事になったらストレスがないなんてことはないし、
逆に、仕事が楽しみだったらいつでも毎日幸せでしかないはず。」
ってことです。
行動や仕事にも、
精密さを求めるべきだ。



いくらでも行動するには途中からの回復が必要だし、回復には休息が必要だ。





必要以上はどこかしら、
絶対的な行動の計算にて成り立つものだ。
他人に対してゴマをする。

これを、
卑怯なことと言うが、
騙される方も悪いのだ。



相手がそうやって擦り寄ってきても、
相手しなければいいことだし、
世の中そんなに甘くはないのだから、当人同士の問題で済めば誰も被害に合わないで済むはずだ。

だから、
そうやって楽しくいられればみんなが幸せだ。
それが他人を巻き込むのであれば、
絶対にただじゃすまないんじゃないだろうか。


人は常に、誰かと楽しく生きたいものなのだから。
前へとにかく進む。


生きる必要なんて関係なく進む。
ずーっと進むその先に、
楽しみがあると思うだけでワクワクするじゃないか。
まともに認められないことは悲しいものだ。


認められることに何かを感じるよりも、
認められることそのものが嬉しいと思うものだ。



私はだから思うのだ。
認めないことで相手に与えられる優しさがあるのではないだろうかと。
宇宙にも限界がある。



宇宙とは常に拡大し続けているが、
実質問題、
拡大しているだけでどこかしら許容限界があるのだ。



だからこそ、
人間もそういう可能性を広げ続ける宇宙のような気持ちで生きてみたら、楽しいのではないだろうか?
人は別に最強にならなくてもいいのだ。

ただ、
最高に素晴らしくなるか
最高に強くなるのか
だけは決めておいたほうがいい。

どちらも最高だろうが、
どちらも手に入れるのはひどく困難だからだ。