日本には、
「ヲタク(オタク)」と呼ばれる文化的なものがある。


オタクとは、
日本固有の「アニメ」やら「ラノベ」やらを愛してやまない外国で言えば「GEEK」たちの総称で、
日本ではそれを通じていろいろなつながりが海外ともできている。



素晴らしいことじゃないか。
それでいいのだ。
日本の文化を広めてくれれば、必ず日本の資産になる。
海外からはその文化がいいとされて、
海外にもそういう文化を持ちたいという若者も増える。
本当に素晴らしいことだ。
仕事というのはやりきることが大事だ。





やりきれない仕事をしていると、

そのうち問題が起こった時どうしたらいいのだとなげくことがある。







ビジネスとは、

全力をつくすことだ。

その全力が、必要なときに役立つのだ。
常識と戦え。


常に新しい世界があり、そして変化していく世界だ。




そしてそしてまたまた繰り返すことだ。

同じく成長してもその成長の差は経験した物事の差になる。

それくらいに、
人間とは新しいことに忠実であることを世の中で要求されるのだ。
知識を蓄えるのに意味はあるのか?

これはコミュニケーション能力を鍛えるという意味ではとてつもなく重要だ。
頭のいい大学生が知識や頭がいいから早口なのはこれが理由だ。


普通の人間のスピードよりも圧倒的なほどの会話力なのである。
よく、
「頭のいいやつは話ができない」
といわれるが、
実際のところ、
ただ単に知識の量が多く自分が強いと思ってしまっているので、コミュニケーションを鍛える必要が無いからそうなるのだ。
むしろ、そう非難するほうがコミュニケーション能力が人並みだけなのかもしれないだろう?
必要以外の者は最低限度にしたい。


最低限度のほうが動くと気楽だし、
さしてストレスなく過ごせるからだ。


世ではミニマリストと言われる人が増えている。
私はどっちかというと、
人生をミニマムにしていっている人だ。
興味がある相手と興味が無い相手がいる。

それがどういう相手だろうと興味があるなら相手をするが、
興味が無いなら相手はできないだろう。
それが相手と交えるということだ。


拳で交える時も仕事で協力して交える時も、
相手が相手してくれないと意味が無いのだ。
人生をかけて、
一つの作品を作る人はカッコいい。



それと同じく、
人生において、
何かしら作品を残せる人はカッコいい。






平凡よりも、
そういう人生に惹かれるのは、人の性だ。
その日少しでも前に勧めたという実感は、
その人の未来を絶対的に明るくする理由になるだろう。


前へ進むことが大事なのは、
その未来に対して絶対的に大切なことを決めるのに必要だからだ。
例えば映像作品などで、
企画を練っておくことは物事の進行において大変重要な意味を持つ。


それと同じように、
人間の人生にも企画性をもたせると面白いかもしれない。





人生がエンターテイメント性に溢れたら、楽しそうだろう?
どちらが強かろうが弱かろうが、
それで決着がつこうがつかなかろうが一緒に生きていかなければいけないのが現実だ。




誰よりも強くても別に特別扱いはなく、
弱いものにはある程度の救済処置もあるほど平和なのだ。


だからこそ、
差別するのは良くない。
何事も、
平等に存在しているのだから、強さを否定する必要もなく、弱さを克服しないでいいわけでもないのだ。
正義の味方なんて存在しない。




正義というのは振りかざすものではなく、行使出来るだけだ。


だからこそ、
正義は存在できる。
悪がない限りは正義はない。
だからこそ、
この世界は安定できる。
生きるのならば、できるだけ可能性を突き詰めて生きていたいものだ。



常に可能性というものはどの行動にもあって、
常に生きている人間たちに存在し続けているものだ。


この可能性、
最終手まで読めれば、それはそれで最高である。
好きな人がいることは、
強くなれるということだ。


誰かを愛していれば強くなり、愛せないと強くなるには困難がつきまとう。




人はだれかを愛さざるをえない。
どんな状況でも、
恨みや嫉妬よりも強い感情なのだ。