世界一強い。

そういうものには敵が多い。
そうじゃないものには敵が少ないが、それが多いことで逆に困らないこともある。


敵といるべきものなのだ。
覚えれば覚えているだけいいものが知識。
だが、
それを使えば使うだけ嫌がられるのも知識。

頭と武器は使いようなのだ。
「幸福」とか、
「幸せになり福をもたらす」と書く。



その意味とは、
円満な家庭なのかもしれないし、
宝くじのような大きいものにあたって一躍億万長者になることなのかもしれない。



どちらにせよ。
私の幸せは、
家族とともに生きることだ。
勝てないのなら逃げてもいいんだ。




絶対に勝てない相手にまで、勝負を挑む必要などない。

逃げるが勝ち。
そういう人生もあっていいじゃないか。
鬼に金棒というが、

鬼に金棒をもたせる時点でもう人間など勝てないのだろう。
だからこそ強いものに対して絶対に真正面から戦ってはならないし、確実に潰されれば100%勝負にならなくて、
卑怯なタイミングで勝利を得ようとするのだろう。



人なんて、
勝てなければ情けないものだ。
その人生に後悔するだろうか?




誰かが見たら恥だと思う人生を生きてはいないだろうか?

人というのは
誰よりも立派な人生を送りたいと思うようにできていて、絶対に認められるからこそ生きていることを自覚するものだ。






人というのは、
絶対に立派になりたくて、後悔する人生を送りそうになるものだ。
思いやる気持ち。

それを持っていることで相手と理解し合えるとされている。
それは本当なのだろうか?

私的には真実だと思うし、
理解できないのに会話も何もないと思う。
相手を理解することで話したら言えない内容ややってはいけない行為がわかるのだから、
逆に言えば悪影響のあることもできないことも理解できるのだ。
人間どんな時であっても、
新しい物が手に入るとわかった時、いつでも子供のように若くなるものだ。

その時の浮かれが人間一番心地よく嬉しく、
とても楽しいものであると思える。



それでいいのだ。
無理しなくても大人にはなってしまうし、好きなモノを手に入れることくらい、
楽しんでも良いではないか。
どんな仕事でも物事でも、
効果が抜群に発することがままある。



その効果の原因を探ることは困難かもしれないが、そういうのが人の運であることは間違いないのだろう。





そのラッキーパンチを、
自分のものにした人間がいたら、絶対に誰よりも強いと思わないか?
何でも、
新しいことっていうのは新鮮味があっていい。


新しい生活、
新しい家、
新しい人間関係。




どんなこともポジティブに変わる。
そんなものでいいんじゃないだろうか?
別に急いで歩いているわけでもないのだし、次の暮らしに目を向ければ、それでいいのじゃないだろうか。
いわゆる、
精神を集中させて力を練ることを、
精神統一という。




その精神統一には、
リラックス効果というものもある。



脳というのは人にとって考えを巡らせるための重要なツールだが、
無心になりその物事だけに集中するには、
邪魔なものなのだ。