行動や方法は、
時間が経つ度常に移り変わる。


其のときに行動しようと思っても、次の瞬間には意味がなくなる。




何事も、
思いつきは大事なのだ。
どれだけ強くても、
圧倒的さにならないことは普通多い。


同じ人間だから余計にそれはあるはずだから、相手が本当に圧倒的だったらもう戦えるようなものではない。
人外の生物と戦っているようなものだ。


最新兵器を備えた機械に勝てないのと同じだ。
どんな兵器も、
それ以上の性能には勝てないが、どんなに強い人間も、
圧倒的に強い相手にはもちろん勝てないものなのだ。
例えば映像作品などで、
企画を練っておくことは物事の進行において大変重要な意味を持つ。


それと同じように、
人間の人生にも企画性をもたせると面白いかもしれない。





人生がエンターテイメント性に溢れたら、楽しそうだろう?
物の価値は人それぞれで違う。

骨董品でも興味が無い人からしたら普通に食卓で出す皿として扱うほどになるだろう。
人とは自分が主体だ。



だからこそ、
絶対的に儲ける方法はないし、絶対的に万人に受ける手段はないのだ。
どんな困難にも立ち向かおう。



どれだけ困難であっても、
とりあえずやってみたらクリアできるかもしれないし、もしくはクリアできるどころか失敗しても、
成果は少しはあるはずだ。
圧倒的戦力に圧倒的実力。


圧倒的というだけで解決しない物事がある通り、圧倒的に強い人間には太刀打ち出来る要素がない。
圧倒的とは、
本当に相手との差が埋まらないほどの力の差があるということだ。
言ってみれば
「この世の中リスクだらけ」
だ。
たった一歩のミスで問題があっただけで仕事を追われるなんて当たり前だ。
そういうリスクを考えられるために中学高校で
「法律」

「常識」
を習ったのではないだろうか?

生きていればリスクだらけだ。
そのリスクは人を危機に陥れる時もあるし、人を救う時もある。
誰よりも先に。


親よりも家族よりも他人よりも先に。



人生の先輩よりも
人生よ後輩よりも先に。



ずっとずっと更に先に。
永遠に誰よりも強くなるのならば、一瞬たりとも立ち止まってはならないのだ。
言葉には命があるというが、
私の文章にも命がある。



どんなものにも吹き込めるのは達人だが、
私には文章にしか命を吹き込めないから達人ではないのかもしれない。




だが、
それでもいいのだ。
コレでも結構年だし、っていっても30だけど、
後輩もいるし結構知名度もある。


だからこそ、
年寄りでもそれだけは負ける気がしないのだ。