必要以外の者は最低限度にしたい。


最低限度のほうが動くと気楽だし、
さしてストレスなく過ごせるからだ。


世ではミニマリストと言われる人が増えている。
私はどっちかというと、
人生をミニマムにしていっている人だ。
絶対的規律があっても、
其の規律を守り講師する側が問題ではいけない。




その生き方人生にも、
それを構成する物質あり。




そして、
其の人生にも、他の人生あり。
物事には、
簡潔に告げなければいけないような物事がある。



たった一瞬の迷いでも意味がなく、
その人に大変なことがあったときとか、誰かが何かしらの状態でまずかったりとか、
そういう状況がある。




人に対しての回答方法は、時と場合なのだ。
欲しいものを買うとき、
ちょっと我慢できそうならば迷うべきだ。


あと、
友達とショップングへ行っても気分で余計なものを買ってしまわないようにするべきだ。





それくらいに、
人とはお金に甘いモノだ。
好きなものも、いらなければ買っただけで終わってしまうのだ。
夢なんて持つべきではない。




というよりも、
私的には夢を持つのはいいがその夢を叶えようとする努力の必要があるのかということだ。
夢というのは努力せずして手に入れることはできない。



それと同じように、
どんな物事も成功するには努力しなければならない。
私もそうやって努力してきた。
人を信じるならば。
とことんまで相手を信じ抜くべきだろう?

そのためには自分を信じてもらわなければならないし、自分を切り捨ててもいいとさえも言わなければいけないことなのかもしれない。
人は人に信じてもらおうと努力する。


それは人が自分のことを信用して欲しいのだから、永遠に変わらないことなのだろう。
常に最新であれ。




仕事も情報もプライベートも、常に新しくあれば、
人は新鮮さを保てるのだ。
自分の中にある殻というのは、
打ち破れないと外に出られないものだ。


常に常にその殻が卵の薄皮のようにあり、それを破っていく度、
新しい自分に出会える。




人は常に一定の場所にいたいと思うしそれ以上を求めない。
だが、
その限界を超える気持ちを持っていたなら、
常に強い人間になっていけるだろう。
興味がある相手と興味が無い相手がいる。

それがどういう相手だろうと興味があるなら相手をするが、
興味が無いなら相手はできないだろう。
それが相手と交えるということだ。


拳で交える時も仕事で協力して交える時も、
相手が相手してくれないと意味が無いのだ。
何でも、
新しいことっていうのは新鮮味があっていい。


新しい生活、
新しい家、
新しい人間関係。




どんなこともポジティブに変わる。
そんなものでいいんじゃないだろうか?
別に急いで歩いているわけでもないのだし、次の暮らしに目を向ければ、それでいいのじゃないだろうか。
遊んでいる人は自由でしょ?

それはそうよ。
仕事では頑張らないといけないもの。




遊んで暮らせるといいけども、
ハメ外している時点で幸せがまだつかめないって思うもの。
常に遊んでいられるのならば、何がしたいですか?
遊ぶことが仕事だったら、楽しいですか?

答えは、
「遊ぶことが仕事になったらストレスがないなんてことはないし、
逆に、仕事が楽しみだったらいつでも毎日幸せでしかないはず。」
ってことです。
人が楽するのは当然なのだ。


人は人生をサボりたいものだし、
どうしても怠惰に生きることが性分になってしまう。





でも人はそれでも
変わろうとする。
それがまた、いいのだ。