えるものブログ・THE PERFECT

えるもの新しいブログだ。 さて、 始めようか。


必要以外の者は最低限度にしたい。


最低限度のほうが動くと気楽だし、
さしてストレスなく過ごせるからだ。


世ではミニマリストと言われる人が増えている。
私はどっちかというと、
人生をミニマムにしていっている人だ。
生きるのならば、できるだけ可能性を突き詰めて生きていたいものだ。



常に可能性というものはどの行動にもあって、
常に生きている人間たちに存在し続けているものだ。


この可能性、
最終手まで読めれば、それはそれで最高である。
人生にある時間は限られている。



その人の生きられる時間には限界があり、どれだけ抵抗しても寿命が来たら時間切れだ。






いつまでもゆったりとはしていられないのだ。
人は成長するが、
伸び続けるのは至難の業だ。




どうしても伸ばせる力には限界があるように感じるし、
年をとると更年期もあってどんどん気力も落ちてくる。



だが、
それを乗り越えたら、少しだけ前進する気がしないだろうか?
どれだけ強くてもいい。

どれだけ強くても、負けないのならそれでいい。
逆に勝つための武器はいらないのだ。
宇宙にも限界がある。



宇宙とは常に拡大し続けているが、
実質問題、
拡大しているだけでどこかしら許容限界があるのだ。



だからこそ、
人間もそういう可能性を広げ続ける宇宙のような気持ちで生きてみたら、楽しいのではないだろうか?
無理したって無茶したって、
それは成功しないと永遠に意味のないものです。



何年働いても意味がなければお金にはなりませんよね?
ならば、
何年働くよりも、
無理をし続けるよりも、効率の良い努力をしたらいいと思いませんか?


人生って、
頑張ればいいってもんじゃないんですよ。
誰よりも先に。


親よりも家族よりも他人よりも先に。



人生の先輩よりも
人生よ後輩よりも先に。



ずっとずっと更に先に。
永遠に誰よりも強くなるのならば、一瞬たりとも立ち止まってはならないのだ。
頑張ることに意味はあると思うか?


たとえそれができなくても、
立ち上がる力になることくらいはあるのではないだろうか?




ピンチの時に声援や応援があれば、
少しくらいは力が湧くのではないだろうか?



本当に相手と戦うとき、
覚悟ができるのは、その人達の声があるからだ。


世界一強い。

そういうものには敵が多い。
そうじゃないものには敵が少ないが、それが多いことで逆に困らないこともある。


敵といるべきものなのだ。
覚えれば覚えているだけいいものが知識。
だが、
それを使えば使うだけ嫌がられるのも知識。

頭と武器は使いようなのだ。
「幸福」とか、
「幸せになり福をもたらす」と書く。



その意味とは、
円満な家庭なのかもしれないし、
宝くじのような大きいものにあたって一躍億万長者になることなのかもしれない。



どちらにせよ。
私の幸せは、
家族とともに生きることだ。
勝てないのなら逃げてもいいんだ。




絶対に勝てない相手にまで、勝負を挑む必要などない。

逃げるが勝ち。
そういう人生もあっていいじゃないか。
鬼に金棒というが、

鬼に金棒をもたせる時点でもう人間など勝てないのだろう。
だからこそ強いものに対して絶対に真正面から戦ってはならないし、確実に潰されれば100%勝負にならなくて、
卑怯なタイミングで勝利を得ようとするのだろう。



人なんて、
勝てなければ情けないものだ。
その人生に後悔するだろうか?




誰かが見たら恥だと思う人生を生きてはいないだろうか?

人というのは
誰よりも立派な人生を送りたいと思うようにできていて、絶対に認められるからこそ生きていることを自覚するものだ。






人というのは、
絶対に立派になりたくて、後悔する人生を送りそうになるものだ。
思いやる気持ち。

それを持っていることで相手と理解し合えるとされている。
それは本当なのだろうか?

私的には真実だと思うし、
理解できないのに会話も何もないと思う。
相手を理解することで話したら言えない内容ややってはいけない行為がわかるのだから、
逆に言えば悪影響のあることもできないことも理解できるのだ。
人間どんな時であっても、
新しい物が手に入るとわかった時、いつでも子供のように若くなるものだ。

その時の浮かれが人間一番心地よく嬉しく、
とても楽しいものであると思える。



それでいいのだ。
無理しなくても大人にはなってしまうし、好きなモノを手に入れることくらい、
楽しんでも良いではないか。
どんな仕事でも物事でも、
効果が抜群に発することがままある。



その効果の原因を探ることは困難かもしれないが、そういうのが人の運であることは間違いないのだろう。





そのラッキーパンチを、
自分のものにした人間がいたら、絶対に誰よりも強いと思わないか?
何でも、
新しいことっていうのは新鮮味があっていい。


新しい生活、
新しい家、
新しい人間関係。




どんなこともポジティブに変わる。
そんなものでいいんじゃないだろうか?
別に急いで歩いているわけでもないのだし、次の暮らしに目を向ければ、それでいいのじゃないだろうか。
いわゆる、
精神を集中させて力を練ることを、
精神統一という。




その精神統一には、
リラックス効果というものもある。



脳というのは人にとって考えを巡らせるための重要なツールだが、
無心になりその物事だけに集中するには、
邪魔なものなのだ。


男の夢というのは、


ロボットや機械とか、夢のあることをやることが多い。
それは別に悪いことではないが、
女にはわからないから美学なのだ。
好きな人がいることは、
強くなれるということだ。


誰かを愛していれば強くなり、愛せないと強くなるには困難がつきまとう。




人はだれかを愛さざるをえない。
どんな状況でも、
恨みや嫉妬よりも強い感情なのだ。
知識を蓄えるのに意味はあるのか?

これはコミュニケーション能力を鍛えるという意味ではとてつもなく重要だ。
頭のいい大学生が知識や頭がいいから早口なのはこれが理由だ。


普通の人間のスピードよりも圧倒的なほどの会話力なのである。
よく、
「頭のいいやつは話ができない」
といわれるが、
実際のところ、
ただ単に知識の量が多く自分が強いと思ってしまっているので、コミュニケーションを鍛える必要が無いからそうなるのだ。
むしろ、そう非難するほうがコミュニケーション能力が人並みだけなのかもしれないだろう?
ストーリーや作品には、
常に「最新作」が求められる。

それはこの「ブロガー」の業界も同じで、常に最新の記事があることが読者様への作品提供になる。
映画やコミックの世界のように、
常に新しいブログであろう。


行動や方法は、
時間が経つ度常に移り変わる。


其のときに行動しようと思っても、次の瞬間には意味がなくなる。




何事も、
思いつきは大事なのだ。
どれだけ強くても、
圧倒的さにならないことは普通多い。


同じ人間だから余計にそれはあるはずだから、相手が本当に圧倒的だったらもう戦えるようなものではない。
人外の生物と戦っているようなものだ。


最新兵器を備えた機械に勝てないのと同じだ。
どんな兵器も、
それ以上の性能には勝てないが、どんなに強い人間も、
圧倒的に強い相手にはもちろん勝てないものなのだ。
例えば映像作品などで、
企画を練っておくことは物事の進行において大変重要な意味を持つ。


それと同じように、
人間の人生にも企画性をもたせると面白いかもしれない。





人生がエンターテイメント性に溢れたら、楽しそうだろう?
物の価値は人それぞれで違う。

骨董品でも興味が無い人からしたら普通に食卓で出す皿として扱うほどになるだろう。
人とは自分が主体だ。



だからこそ、
絶対的に儲ける方法はないし、絶対的に万人に受ける手段はないのだ。
どんな困難にも立ち向かおう。



どれだけ困難であっても、
とりあえずやってみたらクリアできるかもしれないし、もしくはクリアできるどころか失敗しても、
成果は少しはあるはずだ。
圧倒的戦力に圧倒的実力。


圧倒的というだけで解決しない物事がある通り、圧倒的に強い人間には太刀打ち出来る要素がない。
圧倒的とは、
本当に相手との差が埋まらないほどの力の差があるということだ。
言ってみれば
「この世の中リスクだらけ」
だ。
たった一歩のミスで問題があっただけで仕事を追われるなんて当たり前だ。
そういうリスクを考えられるために中学高校で
「法律」

「常識」
を習ったのではないだろうか?

生きていればリスクだらけだ。
そのリスクは人を危機に陥れる時もあるし、人を救う時もある。
誰よりも先に。


親よりも家族よりも他人よりも先に。



人生の先輩よりも
人生よ後輩よりも先に。



ずっとずっと更に先に。
永遠に誰よりも強くなるのならば、一瞬たりとも立ち止まってはならないのだ。
言葉には命があるというが、
私の文章にも命がある。



どんなものにも吹き込めるのは達人だが、
私には文章にしか命を吹き込めないから達人ではないのかもしれない。




だが、
それでもいいのだ。
コレでも結構年だし、っていっても30だけど、
後輩もいるし結構知名度もある。


だからこそ、
年寄りでもそれだけは負ける気がしないのだ。